「方舟の天才」と呼ばれた丸藤正道 師匠・三沢光晴とリングへの強い想いを語る【篁五郎】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

「方舟の天才」と呼ばれた丸藤正道 師匠・三沢光晴とリングへの強い想いを語る【篁五郎】

写真提供:プロレスリング・ノア

 

■師匠・三沢光晴から教わったこと

 

 プロレスは大相撲と慣習が被っていることが多い。若手レスラーは先輩レスラーの付き人として身の回りの世話をするのもその一つだ。もちろん丸藤も付き人を経験している。その相手は二代目タイガーマスクとして人気を博し、素顔になってからも全日本プロレス、NOAHを牽引してきた三沢光晴である。当時19歳だった丸藤は三沢からどんなことを教わったのだろう。

 「(三沢さんの)付き人を3年間していたんですけども、三沢さんは、ああしなさいこうしない」と言う人ではなかったですね。試合会場以外、プライベートの部分ではプロレスの話はほぼありませんでした。だた『言葉には責任を持ちなさい』とは言っていましたよ。プライベートでも結構ご一緒させていただいたんですけど、世間がイメージするプロレスラーと違って、本当に仲がいい人といつも過ごしているような人だったんです。

 もちろん試合会場では、三沢光晴という人間の背中を見て僕も学んできましたけども、その付き人をしている時間っていうのは、その人間性みたいなものを学ばせてもらった感じですかね。言葉で語るというより背中で語るというか」

 丸藤は、2000年に三沢が設立した「プロレスリング・ノア」へと移籍をする。三沢は当時社長を務めていた全日本プロレスを退団。理想のプロレスを目指してノアを旗揚げしたが、馬場の死去後、未亡人である馬場元子との対立が原因とも囁かれていた。三沢と行動を共にしたレスラーは丸藤を含めて25名。全日本プロレスの社員も多くが三沢に同調した。しかも全日本プロレス中継をしていた日本テレビもノアへ中継を切り替えたほど。今でもプロレス界の歴史に残る分裂劇である。その渦中にいた丸藤はどんな思いで三沢を見つけていたのだろう。

「当時は三沢さんの付き人でしたし、1920歳頃なんで会社の細かい事情というのは全くわかりませんでしたよ。でも、さっき言ったように、三沢さんが仲間たちと一緒にお酒を交わしているときとか、やっぱ心も体もすごい悩んでいるなっていうのは若い僕にでも伝わるくらいでした。

 僕の選択肢としては、やっぱり三沢さんについていくっていうことしかなかったです。

 もちろん馬場さんや先輩たち、お世話になった人にはご恩があるのはわかっています。でも、そこは迷いなく決めましたね」

 こうして全日本プロレスからプロレスリング・ノアへと移籍をし、ジュニアヘビー級の選手として活躍。三沢が設立したGHCジュニアヘビー級のタイトルを全日本プロレス時代の先輩である金丸義信やノアの後輩である杉浦貴、KENTAらとで激しい戦いを見せてきた。

 その姿はファンを熱狂させ、彼は一躍トップレスラーの仲間入りを果たすのである。2010年にはノア、新日本プロレス、全日本プロレスのジュニアヘビー級のシングル王座を全て戴冠した初のレスラーになった。ヘビー級でもノアのGHCヘビー級、タッグベルトを巻いた経験がある。

 

写真提供:プロレスリング・ノア

 

■天才と呼ばれてきた男の意外な感情

 

 丸藤正道は、ファンから長年「方舟の天才」と呼ばれている。軽い身のこなしでリングのトップロープを軽々と越えたミサイルキックや、トップロープやコーナーポスト、エプロンサイドを使った技を得意としている。そのどれもが速くて高い。しかも正確である。また、ジュニアヘビーからヘビー級へ転向しても体格差をもろともしない戦いを見せてきた。

 タッグパートナーとして隣にいたこともあれば、ライバルとして対角線上に立ったこともあるKENTAは丸藤をこう表現している。「本当に同じ時代に丸藤さんがいてくれてよかった」「あの人は天才である。動き、発想。閃き。本当にすごい」同時に他団体の選手や関係者、プロレス専門の記者・ライターも丸藤を絶賛する声は多い。自らが天才と呼ばれていることについてどう思っているのだろう。

「僕、自分のこと天才と思ったこと本当にないですよ」

 出てきたのは意外な言葉であった。あれだけ多くの人から天才と呼ばれれば、意識してもおかしくない。しかし「わからない」と顔に書いてあるかのように答えて、話を続ける。

「例えば僕より大きい人もいれば、動ける人もいれば、スピードの速い人もいれば、力ある人もいるし、感度が良い人もいれば、顔がいい人もいる。そのすべてを僕が持っていれば『俺もしかして天才かも』と思うかもしれません。でも、僕よりすごい人たくさんいるので」

 ここで筆者は丸藤本人に実際に試合を見た感想を述べてみた。今でも覚えているのは速さと高さ。2m近くあるレスラーの顔面に蹴りを決めた姿。そして相手の意表をつく攻撃などを挙げてみた。

「そう見せるのも一つの技術であるんで。そういうのもプロレスの技術ですよね。長年の経験とか、練習を積み重ねて身につけたものもあります。でも、大きいのは全日本プロレスからNOAHという流れの中で周りに恵まれたからでしょうね。

 先輩たちは、本当にプロレスのトップの技術を持った人たちばっかりだったんですよ。だから自然とそういう技術を教えてもらったり、試合で身に付けさせてもらったりしたんで。自分がすごいっていうより、やっぱり周りの人たちがすごいんじゃないですかね。

 だって僕、普通のプロレス好き少年ですよ。周りの人がいなければ何もないです」

 1990年代の全日本プロレスは、「四天王プロレス」と呼ばれていた。丸藤の師匠である三沢を筆頭に川田利明、小橋建太、田上明がリング上でお互いに死闘を繰り広げていた。

 四天王プロレスは、両者リングアウトや反則といった不透明な決着がつく要素を排除し、ピンフォールによる決着のみを目指したのである。そうなると必然的にお互いの攻撃は激しくなる。追い込むために脳天から垂直に落下させる技や高角度でリングから場外に落とす技が増えていく。無事にリングから降りるためには、受け身も上達しないとならない。同時に攻撃もどんどん激しくなっていく。彼らのプロレスをファンは絶賛した。全日本プロレスでも、ノアでも、日本武道館や東京ドームといった大会場で超満員札止めを繰り返したのが答えである。

 三沢が中心となって作り上げたプロレスは、今でも丸藤を通じてプロレスリング・ノアで受け継がれている。

次のページ師匠・三沢光晴への思い

KEYWORDS:

「ABEMA presents NOAH “THE NEW YEAR” 2024」

2024年1月2日(火)東京・有明アリーナ大会

 

 

https://www.noah.co.jp/news/5259/

記事中に何度も出てきた有明アリーナ大会とは、「ABEMA presents NOAH “THE NEW YEAR” 2024」のことである。

★2024年12日(火) 開始:15:00 開場:13:30  会場:有明アリーナ

※ダークマッチの開始時間は1420分を予定しています。

丸藤正道選手はメインイベントで、アメリカの団体に所属する飯伏幸太選手(A.E.W)と対戦します。

チケットは

■電子チケット限定直前販売をイープラス電子チケット「スマチケ」にて行います。

 URLはこちら  https://eplus.jp/sf/word/0000001320

 販売期間 11(火)12時~12日(火)1600分まで

■当日券は会場当日券窓口にて12日(火)お昼1200分から発売にて発売中です。

当日はABEMAにて生配信も行う予定です。

https://abema.tv/channels/fighting-sports/slots/94uDyUQ5V9zVao

✳︎日程には追加・変更がございますことをご了承ください。変更の際には、プロレスリング・ノア公式ホームページ(https://www.noah.co.jp/)にてお知らせいたします。

篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

この著者の記事一覧